AZUMAの歴史
AZUMAの歴史を振り返る
当社は1917(大正6)年に現在の東京都中央区新川に本社を置き、艀回漕業者として歴史の第一歩を踏み出しました。
戦争や不況など様々な困難を乗り越え、現在では「お客様に最適な物流サービスを提供する総合物流企業を目指し、社会に貢献するとともに企業価値を高める」という経営理念の下、港運、海運、陸運、国際輸送、倉庫、不動産などへと事業を拡大してまいりました。そして、近年では新規事業分野であるアグリ事業への進出し、2021年度より液体輸送事業へ参入しました。事業環境が変化し社会的なニーズの多様化が進む現在において、当社はその歴史に驕ることなく、進取の気質であらゆる物事に挑戦し、これからも活躍の場を拡大してまいります。
ヒストリー
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1917
大正6年
東 海運株式会社創立
山下汽船株式会社(現株式会社商船三井)の専属回漕業者として、東京市京橋区南新堀(現在の中央区新川)に本社を構え企業活動を開始しました。
社名の由来は、東京に本拠地を置いたことから、「あづま」の1文字をとって命名されたものと伝承されています。
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1934
昭和9年
日本製鉄株式会社の誕生と
同社製品の取扱開始国策会社として1月に設立された日本製鐵株式会社(現日本製鉄株式会社)の八幡製鐵所から京浜地区への輸送量が急増し、9月には当社が山下汽船株式会社の紹介により同社製品の東京における艀回漕と荷捌き業務の取扱いを一手に引き受けることとなりました。
当社業績は創立後順調に推移していましたが、関東大震災(1923年)や大恐慌(1929年)などの影響で悪化し、その対応に苦慮していました。同社製品の取扱開始は、当社にとって大きな転機となるとともに以後の業容拡大に大きく貢献しました。
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1941
昭和16年
戦時下における会社存続の決断
太平洋戦争を目前に控えた中、「港湾運送業等統制令」が公布され、当社は会社財産を国家指定の港運統制会社へ譲渡することになり、当社の本業であった艀回漕業は一旦終わりを告げました。
しかし、この統制令の対象範囲に着目し、乙仲業務など一部業務を継続させ、わずか13名の従業員を残し経営を継続する決断をしました。残った13名は戦時下にありながら東奔西走し、好業績を収めました。 この英断により、当社は消滅することなく、当社の旗は死守されたのでした。
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1949
昭和24年
山下汽船との資本関係解消と
ドッジ緊縮財政下における不況戦争が終結し、GHQによる統治が開始されました。GHQの民主化政策の一環として財閥解体が行われ、その影響で30年以上続いた当社と山下汽船との資本関係は解消されました。
戦後混乱期の当社業績は安定していましたが、同年来日したジョゼフ・ドッジの緊縮財政により日本経済は深刻なデフレ不況となり、倒産が相次ぐようになりました。当社も例外ではなく、1950年には資金繰りが極度に悪化し、リストラを迫られるようになりました。
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1951
昭和26年
小野田セメント製造株式会社との提携
業績が悪化し、新たな提携先を模索している中、当社と取引きのあった会社に小野田セメント製造会社(現太平洋セメント株式会社)がありました。
同社は復興の中心である東京進出と増大するセメント輸送の合理化を課題としていました。当社はGHQが接収していた中央区晴海の土地接収解除に成功し、同社東京サービス・ステーションの建設に大きく寄与し、1951年には出資を受け同社の傘下に入りました。
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1952
昭和27年
海運事業への進出
「龍洋丸」の取得小野田セメント株式会社が課題としていたセメント輸送の合理化のため、当社は念願であった海運事業に進出することとなりました。その手始めとして、セメントタンカーを取得し、「龍洋丸」と命名しました。
以後、セメントタンカーの増強に努め、同社が進めるバラセメントの海上輸送体制の整備についてインダストリアル・キャリアとしての役割を担うとともに、海運事業は当社の中心事業に発展しました。
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1953
昭和28年
社章・ファンネルマーク制定
カモメをモチーフにした社章と、セメントタンカー用の社旗としてファンネルマークを制定しました。
社章は、カモメの羽翼にローマ字で「AZUMA」を表し、海を舞台に活動する海運を象徴したデザインで、ファンネルマークは上下2つの藍線が大海原を象徴し、中の5つの朱丸は五洋に翻る国旗日の丸を併せてイメージしたデザインとなっています。
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1969
昭和44年
戦後初の日ソ合弁会社
東洋共同海運株式会社の設立1967年、日ソ国交正常化後の貿易量の増大から、ソ連海運の要請を受け、代理店業務を開始しました。
その後、ソ連海運から日本を拠点とする定期航路の新設、拡大を目的とする合弁会社設立の提案があり、1969年には戦後民間による初めての日・ソ合弁会社「東洋共同海運株式会社」を設立しました。
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1972
昭和47年
コンテナターミナル事業への進出
(品川コンテナ埠頭)ソ連海運が日本におけるコンテナ輸送の専用バースを模索しているとの情報をつかみ、品川コンテナ埠頭のスペースを確保し、コンテナターミナル事業への進出を果たすこととなりました。
そして、1972年11月、ソ連の北米航路におけるコンテナ第1船が品川に入港し、当社は念願のコンテナ業務を開始しました。
品川コンテナ埠頭は、1967年に供用開始した日本初のコンテナ埠頭であり、現在は中国・韓国船社のCY業務を請け負っています。
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1974
昭和49年
有明フェリーセンター開設
1970年代に入ると高速道路網の整備などからトラックによる貨物輸送が急増しましたが、道路混雑の慢性化と運転手不足という問題を抱えていました。こうした背景の中でトラックよりも輸送コストが低減でき、環境にも優しい長距離カーフェリーが物流合理化の担い手として登場しました。
1972年にフェリー事業に進出していた当社はフェリー事業の将来性に着目し、1973年4月に全国展開することを決定し、1974年4月には、江東区に有明フェリーセンターを開設しました。
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1985
昭和60年
危険品倉庫の開設
九州・山口地区に所在する化学品メーカーが取り扱う危険物の輸出入ニーズに着目し、12月に北九州地区では初の危険物のための倉庫を建設しました。
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1987
昭和62年
太田流通センター開設
1987年6月に、国内向けタイヤ保管のため群馬県太田市に太田流通センターを開設、同年5月にA棟、B棟、C棟、11月にD棟が完成し、本格稼働しました。
その後、既存倉庫の老朽化を解消し、安全で効率的な運用を図るため建替えを行い、2020年4月にA棟、2021年2月に拡張したB棟、C棟が竣工しました。
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1988
昭和63年
大井流通センター開設
東京都大井コンテナ埠頭後背地である大田区東海に都が保有する約1万㎡の土地について、30年間の長期借受けに成功し、大井流通センターを建設しました。
増大する取扱量を背景に、同倉庫を国際物流の主要拠点とし、総合物流企業への転換を図りました。
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1991
平成3年
タイへの進出
国際複合一貫輸送事業の東南アジアにおける中核海外拠点とするため、タイ・バンコクに現地法人SIAM AZUMA MULTI TRANS CO., LTD.を設立しました。
当時のタイは対外債務解消のため輸出振興に力点が置かれ、タイ政府の積極的投資誘致政策により国内輸出産業の進出が相次いでいました。
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1997
平成9年
青海流通センター開設
当社は国際化の進展に対応するため、東京港における大井流通センターに次ぐ第二の自営大型倉庫として江東区に青海流通センターを開設しました。
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2001
平成13年
香椎流通センター開設
九州地区において門司を中心として事業を展開していましたが、中国をはじめとするアジアの玄関口として発展著しい博多に国際物流拠点を設置する必要があるとの判断から、香椎ポートパーク内に香椎流通センターを開設しました。
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2003
平成15年
大井コンテナセンター開設
(大井コンテナ埠頭)1979年よりCY業務を請け負っていたワンハイラインズ株式会社が大井5号埠頭へ移転することを機に、大井コンテナセンターを開設しました。
このコンテナターミナルでは、コンテナ運搬荷役機器にトランステナー方式を採用したことにより、限られたスペースでより多くのコンテナを取り扱うことができます。
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2005
平成17年
弥富バンニングセンター開設
愛知県弥富市に当社初の自動倉庫「弥富バンニングセンター」を開設しました。
この倉庫では自動ラックシステムの導入、QRコードなどの当時最新鋭の情報システムを取り入れるなど、省力化のほか、受入・出庫作業の効率化や立体空間の有効活用などを実現しています。
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2005
平成17年
ロシアへの進出
ロシアは、原油や天然ガスなどの豊富な天然資源に恵まれ、BRIC'sの1角として今後の発展が期待されていたことから、モスクワ駐在事務所を開設しました。
続いてロシアやCIS諸国における更なる事業基盤の強化のため、2007年6月に東CIS有限会社を設立しました。
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2006
平成18年
株式の上場
創立80周年の1997年に株式上場の目標を立て、2006年、ついに悲願であった東京証券取引所第二部への上場を果たし、その翌年わずか1年で東京証券取引所第一部銘柄に指定されました。
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2007
平成19年
タンデム・グローバル・ロジスティクス・ネットワークの構築
国際複合一貫輸送の拡充・拡大を図るため、NVOCC業務のネットワーク、「タンデム・グローバル・ロジスティクス・ネットワーク」 を構築しました。設立以来年々拡大を続け、現在では世界75以上の国と地域をカバーしています。
2010年には、日本におけるタンデム業務の充実を図るため、株式会社KSAインターナショナルとの共同出資により、タンデム・ジャパン株式会社を設立しました。
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2011
平成23年
モンゴルへの進出
モンゴル・ウランバートルに現地法人Azuma Shipping Mongolia LLCを設立しました。
「タンデム・グローバル・ロジスティクス・ネットワーク」を活用したモンゴル向け海上貨物及び航空貨物等を取り扱っており、プロジェクト貨物および中古車・建機等の輸送を行っています。
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2011
平成23年
東華貨運代理(青島)の設立
中国国内の各種物流事業への展開を促進するため、青島に当社独資による現地法人「東華貨運代理(青島)有限公司」を設立しました。
日本水準の高品質な複合一貫輸送サービスを前面に打ち出し、中国内の既存拠点との連携の強化による、物流ネットワークの拡大と中国発日本ならびに全世界向けの輸送の拡充を図りました。
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2012
平成24年
ミニトマト植物工場
AZUMA FARM三重の建設従業員からのアイディアにより、三重県津市に土壌養液栽培による太陽光利用型植物工場AZUMA FARM三重を建設しました。
同ファームではミニトマトの自社ブランド「あづまこべに®」を生産・販売しており、「あづまこべに®」という商品名は、社名の「あづま」と、小さな赤い果実という意味の「小紅」から名付けられました。
2017年8月には植物工場の規模を拡大し、栽培面積は約8倍となりました。関連リンク
「あづまこべに」ができるまで
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2014
平成26年
AEOの承認
2014年にAEO特定保税承認者の承認を受け、2016年には認定通関業者に認定されました。
AEO制度とは、国際物流におけるセキュリティ確保と円滑化を図るため、貨物のセキュリティ管理と法令遵守の体制が整備された事業者に対し、税関手続きの緩和・簡素化策を提供するものです。
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2017
平成29年
創立100周年
2017年12月、当社は創立100周年を迎えました。
これもひとえに100年にわたる株主様、お客様、取引先様をはじめとしたステークホルダーの皆様のご支援・ご協力の賜物と厚く御礼申し上げ上げます。
これからの100年も歴史と伝統に胡坐をかくことなく、進取の精神で挑戦し、永続的に発展する存在感のある企業を目指してまいります。
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2019
平成31年
危険物マルチワークステーション建設
危険物物流の需要が拡大する福岡県北九州エリアにおける事業基盤の整備を目的に、危険物の取扱いを中心とした多機能拠点として、北九州市新門司地区に危険物マルチワークステーションを開設しました。
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2021
令和3年
液体輸送サービス参入
顧客ニーズの増加を背景として、国際事業拡大のため、過去10年のフレキシタンク廃棄作業の経験を活かし、フレキシタンクメーカー、販売会社である、QINGDAO BLT FLEXITANK SOLUTION CO.,LTDと日本代理店契約を締結し、国際物流の新規事業として、フレキシタンクを使用した液体輸送サービスに参入しました。
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2022
令和4年
東京証券取引所
スタンダード市場を選択2022年4月の東京証券取引所上場区分の再編に伴い、着実に改善・改革を推進しその成果を積み上げていくことが、持続的かつ安定的な発展・成長の礎となり、中長期的な企業価値・株主価値の向上につながるものと判断し、総合的に勘案した結果、スタンダード市場への移行を選択しました。